
「会いたいのに会えない」――
以前は、会えることを知ってしまったから辛いのだと思っていました。
けれども、たとえこの世からその人が旅立ってしまおうとも、存在を近くに感じられるような、心が強くなれるような人もいることを知っていきました。
the rendez-vous pointの対話から、心の叫びをご紹介します。
このコラムでは、the rendez-vous pointにちなんで、大庭やLOVEMEメンバー(LOVEME&COMの仲間たち)のランデブーポイント(振り返ってみれば、ここがあったからこそ決断できた、ここがターニングポイントにつながっていた、という時点)にまつわるエピソードをご紹介します。the rendez-vous pointの実際のセッションの一部をご紹介することもあります。
物語に集中するために、このコラム群は基本的に「文字中心」でお送りいたします。
「もうちょっと話し合えば……」
そう思っていたところ、相手が急に離れて、連絡もとれなくなって、遠くに行ってしまったというお話。
同じような出会いと別れを繰り返していることで、もう誰かと出会うのが怖い、と彼女は言います。
お父さまとの死別でも、同じような思いを抱えて苦しかった様子。
お別れするだけで悲しいことなのに、すべてのお別れを消化できていない彼女の肩はずっと震えていました。
本音はみえたことがない
私も、いま思い出しても胸が詰まるようなお別れを経験したことがあります。
ずっと一緒に学んで、高めあっていけると思っていた、同じ学問領域の先輩。
哲学の深みにはまっていく過程で、「心の大きさはどのくらいか」とか、「朝と夜はどちらがはじまりか」など、別にそんなことに頭を悩ませなくても生きていけるような話題について、毎日毎日議論を重ねました。
このまま研究者として論文をたくさん書いて、きっとどこかの研究機関で研究を続けていくものと思っていました。
ある日突然、先輩は命を終わらせることを選んでしまったのです。
あまりに突然だったにもかかわらず、どこかでその日が来てしまうかもしれないという脆さも感じていたのでしょう。
「想定できるなかで、最悪の結末を迎えてしまった」
止められなかった自分を責める気持ちのすぐ横で、こんな本音が頭を出していました。
その後ろめたさは、「先輩の本音は、ロジックに覆われていつもみえなかった」という気持ちのせい。
「ずっと一緒」をかなえるために
ずっと一緒に学んでいけると思っていたし、思いたかったのです。
ともすれば自分の世界に閉じこもってしまう学びの世界にいる私たちは、
孤独を選んでおきながら、言い知れない寂しさと闘ういきもの。
近くにいて、その世界を理解できているつもりだった後輩たちは、先輩にすがっていたのでしょう。
けれども、それは先輩の存在そのものにではなく、そのロジックや、ステイトメントに。
本音をしらない、そこに触れられない関係性は、
最初から「一緒」だったことなど、なかったのかもしれません。
理屈をこえて、存在そのものを認めあって、尊いと感じること。
その人の生きるありのままをインストールするように、周りもふくめて優しくふれること。
もしもそんな関係を一つひとつ描けるならば、触れることができなくなっても寂しくありません。
そんなことが、ようやくわかってきたこの頃だ、なんて話をしたら、
彼女は画面の向こうで言いました。
「私の本音を知ってください。知ってくれる人と一緒にいたい。」
そうかぁ。
こんなふうに生きられたら。
15年前の私を救ってくれた、私にとっても大きなランデヴーポイントとなるセッションでした。
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