こんにちは!
アイデアフラッシャーのにわです。
今回は「もっと早く出会いたかった!」と痛感した、世界の宝ともいえる工場と企業についてお伝えします。
「ぜひ見に来てほしい!」ピュアな想いにふれる
見たこともないような艶を帯びた、焦げ茶色の鏡のような塊が「バッタン、バッタン…」と動くさま―
食事の席で彼女が私たちに見せてきたのは、ある機械の動く様子を映した動画でした。
機械やその製品について、あるいはその貴重さについて、おそらく価値の何十分の一も理解できないであろう、門外の私にすら伝わってくる尊さが隠しきれない、工場のひとこまです。
わあ、と言葉を失い、何度も何度も動画を目で追いかけながら、わあ、わあ、と一同の声がこぼれます。
いつも、その場の誰よりもピュアで、いつか透き通ってしまうのではないかと思える彼女は、やはりいつもどおりの調子で言いました。
いつでもおいでー。
うちの機械はなあ、ほんまに、すごいんよぉ。
え。いいんですか?
ええよぉ!来て来て!
みんなには、ぜひ知ってほしいんよ!
それは!!!
ぜひ!伺いたいです!
言い表せない高揚感を感じ取りながら、やっとのことで見学したい意思と、見せてくださったお礼を伝えます。
そこで彼女はドリンクを飲み干して、まっすぐ私のほうを見て、言いました。
これをな、絶やしちゃいけんと思うとる。
絶対にな、絶やしちゃいけんのよ。
なんと言い返すべきか迷いました。
「そうですよね」「おっしゃるとおりですね」「私もそう思います」……
情けないことに、通り一遍の言葉たちがひととおり浮かんでは、やはり言い返すこともできず、うんうん、と酔ったふりをしてうなずいていました。
彼女の仕事人としての本気、文化を受け継ぐ人の本気。
情熱の入口にはじめて、触れた気がしたのです。
もっと知りたい。
この人の情熱の理由をもう少しだけ、見てみたい―
そこで、ご厚意に甘えて、見学のチャンスをいただきました。
彼女との出会い、アークバレーについて
不届き者の私は、若い頃からたくさんの社会人の先輩方にお世話になってきました。
仕事でダウンして、休養ののち、社会復帰をかねて通いはじめたアークバレーで、いろいろな働き方が地方でもできることを知りました。
ライターの仕事は学生の頃地元で始めたものの、そのときには既に都内や京阪神の雑誌や書籍関係のほうが多くなっていたし、研究者としても地方ではなかなか難しいと知っていたなかでたまたま地元での就職をした私。
第二次氷河期や東北の震災が新卒時の就職活動と重なったこともあり、「いまある環境から抜けないほうがいいに違いない」と思い込んでいました。
そんななかで、(ある意味)力を抜いたり、入れたり、緩急をつけながら楽しく働く人たちの存在は、確実に20代の私の心に大きな影響を及ぼしました。
そのひとりが、冒頭の動画を見せてくださった「彼女」。
西原織物株式会社の、西原さんです。
西原さんのお写真を出すとたぶん怒られるので出しませんが(笑)
イメージ的には、このチャプターの見出しのところに出ている感じの、元気なアネゴというお方。
いつもハジける元気でみんなを巻き込む彼女が、いつになく真剣に(失礼)、工場のことを語ってくださったことには、なにかの意味があったのだろうと思えたのです。
岡山県・繊維の町児島にある、西原織物株式会社
ここで、今回伺った工場と企業さまについてご紹介しましょう。
伺ったのは西原織物株式会社さま。
(以下、西原織物さんと表記)
個人的には、Webサイトのファーストビューが大好きなので、ぜひ一度サイトを訪れてみてください。
会社のロゴも素敵ですよ。
岡山や倉敷と聞くと、「デニム」のイメージをもっている方も少なくないでしょう。
西原織物さんの本社があるのも、倉敷・児島地区。
デニムのほかに制服や畳縁の生産もさかんな、海沿いの町です。
その児島に、西原織物さんの工場があります。
画像のような糸を、いくつもいくつも織り重ねてできるのが、テープ。
柔道の帯やいわゆる「ガチャベルト」、バッグの取っ手やファスナーの持ち手(あの有名バッグにも採用されているとか)などの身近なものから、工業用のスリングなど、ありとあらゆるテープを生産されています。
こんなのもありました。
前掛けタイプのエプロンについているベルトというか、テープ。
そうそう、これですよね、これ。へいらっしゃい的なね。
ほかにも、カジュアルウェアの製造も手掛けられています。
そのせいか、西原さんもいつもオシャレでかわいらしいアネゴです。
今回は、児島でテープを作っていらっしゃる拠点におじゃましました。
「この子、気分屋なんですよね」。若手の感性とレガシー
画像は、さきほど登場した前掛けのテープの製作中の様子。
こんなにたくさん糸、あるの!?と思うほど、おびただしい数の糸を操りながら、作られています。
プロの皆さんはこのひと巻ひと巻の名前を顔を覚えていらっしゃるのだろうか…
私のそんな思いが交差するよりも断然速く、糸は織られていきます。
西原さんいわく、この糸たちや機械の様子をみながら、調整しながら生産するのだとか……
ズボラな私はのっけから降参しているわけですが、気の遠くなりそうなお仕事に脱帽です。
続いて、さらに時代を感じさせるアイテムがお目見えしました。
大切な糸をひとつひとつ巻くために、ずっと受け継がれてきたものたち。
あたたかみのある木箱も、ずっとずっと、使われてきたものだそうです。
この箱もほしくなる感じで素敵ですね!
工場にいた最若手の方に、話をお聞きしました。
なんでも、扱っていらっしゃる機械は西原織物株式会社にしか存在せず、もう部品の供給も得られないのだそう。
不調が出た場合は代替品で対応しますが、なかなか一筋縄にはいかないようです。
この子、気分屋なんですよね。
不調が出たら一つひとつ探りながら、あちらを立てればこちらが立たず…
ところがこの「気分屋なんですよね」とは、20代の方のセリフです。
デジタルネイティブ、スマホネイティブで育った人々が放つ「気分屋」という言葉の重みたるや。
それを言いながら、最若手の彼はまた、笑顔で機械を撫でるように、仕事に戻っていきました。
気分屋でどうしようもない。勘弁してほしい。
そんな感じは微塵もなく、いうなれば「しゃあないなぁ」という、どっしりとした構えすら滲んでいます。
なあ、かわいかろ?
(訳:ねえ、かわいいでしょ?)
どこからともなく、ベテランさんの声が私に向かってきます。
母のように見守るその視線は、なにをみつめてかわいいと表現したのでしょうか。
時代の最先端と、織る人たち
西原織物さんを語るうえで欠かせないのは、児島を支えてきた「女工さん」の存在。
現在でも80代の方が現役で、元気に働いてくださることを、西原さんも嬉しそうに語ります。
皆さんは、女工さんにどのようなイメージをもっているでしょうか。
気風の良いおかあさん?
技術者集団?
恥ずかしながら身近に女工さんがいない私は、イメージを持ち合わせていませんでした。
はじめてお会いした女工さんたちは、それぞれ機械やテープに向き合いながら、淡々と、ときに笑顔で、実直にお仕事をされている印象でした。
大きな音で動く機械の音に負けないくらい、注意喚起の声かけは大きくしながらも、静かに、まじめに仕事に向き合う正真正銘の職人さんたちです。
人生100年時代、私もいつまでも元気に働けたらいいなあとは思っていますが、おそらく地元でいちばん元気に働いている人生の先輩集団だとも思います。
シニアの皆さんの活躍という意味でも、西原織物さんは時代の最先端。
そして、このすばらしい企業に入社したいと、若い方も集まっているようです。
おかげさまでなあ、平均年齢も下がっとるんよ!
西原さんも満面の笑みです。
20代、30代の若い方と、女工さんたちが同じ空間で、同じように働いているのです。
そこには大掛かりなしくみなんて、必要ないのかもしれません。
コミュニケーションの型も、いらないのかもしれません。
「ありがとうなぁ」
女工さんの声が、また私に向かう気がしました。
誰に向かって言ったんだろう、いったい何に対して―
そう思った自分を、すぐさま覆い隠しました。
なんて無粋な。
ありがとうございました。
入口近くでお仕事されていた、若い方が私に向かっておっしゃいます。
お礼を述べ、ぺこぺこと頭を下げることしかできず、その場の空気をもっと味わいたい、学びたいと、目に焼き付けるのに必死でした。
私たちは、なにを織るのか
西原織物さんの「織る」というお仕事に触れて、改めて自らの仕事も省みるきっかけをいただきました。
コミュニケーションや企画を仕事の核とする私は、ついその場のしくみやスキームや、あるべき姿を描き、デザインしようとしてしまいます。
それはもしかしたら、とても独りよがりなことになってしまう危険性を、つねに孕んでいると感じてきました。
女工さんと、若手の方と、レガシーの気分屋マシーンたちに出会い、西原さんに再度質問しようと考えていたことについては、尋ねるのを辞めました。
どうして、絶やしてはならないと思うのですか―
そんなの無粋です。
織るままに、時代を生きる。だから絶やしてはならないし、絶えないのかもしれません。
西原さん、素敵な学びの時間をありがとうございました!
ご覧いただき、ありがとうございます!
話しかけてみたい方は、公式LINEでもお待ちしております。