こんにちは!
アイデアフラッシャーのにわです。
親友からとても嬉しいフィードバックをもらえたので、皆さんにシェアさせてください。
彼女、なおこさんのプライベートな内容を含む話題であるにもかかわらず、
こうして記事にしたためてくださったことに、心からの敬意と感謝をお伝えします。
そして、似たようなご経験をお持ちの方、ご不安がある方に届くことを願っています。
不安なときは、孤立しやすい
事の詳細はなおこさんのエッセイをご覧いただければと思いますが、
緊急事態にあって、100%平常心でいられるなんてことは、ほとんどありえないのだと思っています。
- 自分の体調が悪い
- 家族が突然倒れた
- 急に仕事を失った
- パートナーに別れを告げられた
- 家族との離別
- 暴力・いじめを受けている
- 犯罪の被害にあった…… など
たとえばこんなとき、いつもの私でいられるだろうかなんて、想像してみれば200%、NOだと言い切れるわけです。
平常心でいられないというのは、「なんとかいつもの調子に戻そう」という、ホメオスタシス的なものもあれば、
理屈ではない焦りもあるでしょう。
そして、緊急事態そのものや焦りからくる行動が、私たちを孤立に追い込むことがあります。
急に仕事を休まなければならなかったり、
家族やライフスタイルの変化に対応しきれず、心が疲弊してしまったり、
ときには逃げなければならないから、物理的・空間的に孤独にならざるを得ず、孤立を生んたりするかもしれません。
私の考えでは、その「孤立」が、ソーシャルワークの対象の核なのです。
孤立は、人と世界をどうしてしまうのか
孤立については、政府・自治体もいろいろと取り組みを行っています。
社会の制度には穴があるものだし、その穴を補うのが福祉であるとすれば、ソーシャルワーカーはそこにいどまなければならないとも思います。
皆さんそれぞれに、行政の取り組みにはご意見があるところでしょうが、この記事で政策に関する私見を述べることには意味を感じないため、一旦ご紹介にとどめます。
細かい解説は論文等に譲るとして、私がPR人・コミュニケーションデザイナーとして関心をもっているのは、
孤立とは、孤立する人や関係者だけでなく、社会にとっても損失であるだろう
ということです。
自分自身が身の置きどころを失ったような気持ちになったら悲しいし、家族や関係者ならば、胸がちぎれそうになり、代われたならと思うかもしれません。
それだけではなく、おそらく孤立という事象は、もしも気づかれなかったら、あるいは気づくのが遅れたら、
別の孤立を生んでしまうかもしれない、悪循環を引き起こしかねない問題です。
「いい関係、つくりませんか?」
と常日頃皆さんに投げかけている私にとっては、
これは関係性の問題、PRの命題に近いものでもあります。
「関係性をデザインする」というソーシャルワーク
いい関係はつくれるのか、という問いについては、毎日毎日自分で向き合っています。
こじつけてできるものでもなければ、自分自身が幸せを感じられることがベースにもなっており、
ただ介入する技法があって、テクニカルに解決できるようなものではないのはたしかです。
もちろん、私もソーシャルワーカーの端くれとして、介入する技法を学んではおりますが、
出会いとか、運とか、環境に起因するものに立ち向かう割合はどうしても大きいものだし、
「何日間で終わります」とコミットできるものでもありません。
なおこさんの例で言えば、
ご家族の体調不良が同時多発的に起きて、ご自身の生活もありました。
パラメータが多すぎて、AIでも誤差を修正しながら進むレベルの話です。
そして残念ながら、ソーシャルワーカーにも限界があります。
事業所に所属している人であれば、職務上の限界があり、内規の制約もあります。
ソーシャルワーカー自身の心や身体も守らなければなりません。
自己犠牲で遅くまで残って働く人もいますが、私自身は「それはするな、欺瞞だ」という恩師の教えが正しいと信じています。
自分の限界を知っている人が示せる誠意といえば、ネットワークを築くこと。
そして、最低限の職業倫理として、適切な窓口を案内すること、考え抜くことです。
これって、PRの仕事とほとんどかわらないのです。
私には絵の才能がないので、デザイナーさんやアーティストの方と一緒に仕事をしています。
コンセプトを考えることはでき、ある程度の想像や制作はできるけれど、
ロゴを描いたり、配色の提案をしたりするのは、パートナーである瞳さんとか、タイさんなしにはできません。
お客さまの将来像やブランドイメージを膨らませ、コピーやネーミングを考えることは得意ですが、
武蔵さんと同じ超感覚でその人の現在地以外をつかむ力はありませんし、岩本さんの細やかなお仕事のおかげでお客さま満足度も爆上がりです。
自分自身のチームメイトを増やして、最強の布陣を整えてお手伝いすることはまさしくいまの私の働き方だし、
御本人にとっても、どんな資源を使ってこれからの生活を整えていくのか、マッピングして、頼れるように糸を張っていくこと。
これは、PRとソーシャルワークの共通点。
利益/公益視点とか、諸制度の理解などはちがうところですが、
たまたまその両方にかかわってきた人間だからこそ、別の解像度でここに立っている感覚はあります。
優しいだけでは、救えない
ところで、私のソーシャルワーカーとしての仕事は、きっと優しくありません。
親切であろうとは努めていますが、ぬるま湯につけてふやかすような、
あるいは猫撫でのように転がすような優しさでは、孤立から誰かを救うことはできないと考えているからです。
実のところ、私が誰かを救えるとも、思っていません。
これまでLINE等でご相談を受けてきたケースでも、
安々とお返事をして、依存をつくりだすようではいけないと考えて、ご自身で考えるよう促し、突き放されたように感じた方もいると思います。
普段の、PRや企画、ブランドデザインのお仕事と同じです。
伴走はしますし、参謀でありたいと思ってはいます。
しかし、たとえかわりに経営ができたとしても、お客さまの、社長のかわりに生きることはできないのです。
いつも元気ななおこさんの悲しい声を聞いて、
いてもたってもいられませんでした。
そのまま駅か空港に向かって、彼女のところに駆けつけて、抱きしめることは簡単でした。
ズケズケと家族の場に立ち入って、采配したつもりになることだって、できたかもしれないし、
多分私たちの関係性やキャラクターでいえば、驚かせたとしても、それも許されたでしょう。
けれども、それはできませんでした。
なおこさんの生きる力と、ご家族の生きる力と、つながる力を信じることにしました。
私が全部入って片付けてしまうことは、その力を奪ってしまいかねない行為なのです。
人生でそう何度もやってきはしない悲しく、焦る瞬間に、
生きる力を信じて引き出す、ギリギリのところをお手伝いできるように、
私は今後ももっとかかわり方を学んで、磨いていかなければなりません。
そのときに、PR人としてのキャリアや経験はきっと、活きてくると思います。
もしもあなたやご家族、周りにとって生きづらかったり、心身に不調があったりするときや、
社会復帰を考えているとき、
あるいは、企業や独立とはいかないまでも、ご自身のブランドイメージを整えたいとき。
少し違った切り口で、お手伝いできることがありましたら、お声掛けください。
なおこさん、記事を書いてくださり、ありがとうございました!
ずっと、あなたの親友で、パートナーでいさせてくださいね。
ご覧いただき、ありがとうございます!
話しかけてみたい方は、公式LINEでもお待ちしております。