the rendez-vous point|それって、パワハラだと思うよ

このコラムでは、the rendez-vous pointにちなんで、大庭やLOVEMEメンバー(LOVEME&COMの仲間たち)のランデブーポイント(振り返ってみれば、ここがあったからこそ決断できた、ここがターニングポイントにつながっていた、という時点)にまつわるエピソードをご紹介します。

物語に集中するために、このコラム群は基本的に「文字中心」でお送りいたします。

包み隠さず申しますと、私には「自分への嫉妬」に関する感度が欠落しているようです。

東日本大震災やいわゆる第二次氷河期を経て、なんとか新卒扱いで掴んだお仕事は、医療機関の事務職でした。
アカデミックな道を進もうと心のどこかで思っていた頃から、取材目的で医療現場に出入りしていたので、ある意味「願ったりかなったり」のお仕事。
なにより、時勢的に食い扶持が見つかるかどうか、という世界線を生きていたので、内定通知を受け取ったときには「ああー!これで食いっぱぐれずに済んだぞ!」という気持ちになったのも正直なところです。

目次

新卒で入った職場

医療機関の事務職といえば、比較的女性が多い世界。
看護師さんの世界も未だにその傾向が強いのですが、事務の世界も同じくらい、人数比で見れば女性の世界でした。
高校生のときも、なにも知らずに女子の多いクラスに身を置くことになりましたが、どちらかといえば地頭は理系寄りで、子どものことからやんちゃなタイプのお友達にばかり恵まれてきた私には、少々縁の遠い領域なわけです。

男性がどうだ、女性がどうだ、と性差別やジェンダーの話をしたいわけではありません。
私も中身はオッサンだし、いろいろな人がいることが事実です。
あくまでひとつの「女性性」の話だと捉えていただければ、幸いです。

絶対に似合わない制服に着替えて、若気の至りで凌ぐ日々。
異動のために違う部署に行ったとき、なんだか陰でヒソヒソ言われていることに気づきました。私の置いている書類は目を離した瞬間にすべてなぎ倒しになっているし、数秒前にカウントした器具は迷子になって探し物に明け暮れているし(インシデント報告書が出るとバレてしまうからか、知らないうちに戻されていました)…

自分の注意不足を心配して受診することすらありましたが、どこに行っても「異常なし」の診断。
あるとき、社会人の先輩との食事の席で「それさ、いじめられているんじゃない?」と指摘されます。

そうかなあ、と思いながらも、私は寝たら忘れるタイプ。
また別の機会に書きますが、過労で強制シャットダウンがかかり、程なくしてこの部署とお別れすることになるので、いじめられているかどうかなんて話も、忘れかけていました。

環境が変わっても、自分の根っこはかわらない

時は経ち、別の企業で働きはじめたときのこと。
このときは少人数の職場で、直属上司もマイクロマネジメントをしないタイプのお仕事でした。
ゴージャスマダムのような出で立ちの先輩についてOJTを受けていると…3日目くらいから、なんだか風向きが怪しくなってきます。

「眼鏡はもうかけてこないで!明日からコンタクトにしてね。絶対明日からよ。わかった?」
月月火水木金金系のタフな職場で、家に帰るとだいたい日付をまたいでいたわけで、
買えるコンタクトレンズなんて、その日に受け取れるのはド◯キで買えるカラコンくらいです。

無茶言うよなあ、とは思いながらも、実は近視も遠視もない私(強めの乱視なので、裸眼でもタイムラグで見えていたのです)。
気合でその日を乗り切る決断をして、即発送のものをネットで注文して乗り切ってしまいました。

たまたま手が早い方だったので、少々の無茶振りでもこなしてしまったり、「私は通りすがりに手がぶつかっただけだからね!」と言って手を貸してくださった非常勤の先輩がいたりして、OJT担当の先輩のかわいがりを見事にスルーしてしまったのでした。

あるとき、ほかのスタッフがいないタイミング、OJT担当の先輩と私のたった二人だけがお部屋に残されたときに、先輩が言い放ちました。

「なんで!なんで逃げ切るのよ!できない、無理って泣きわめいて私に土下座すればいいのに!」

一瞬、何をおっしゃっているのかわかりませんでした。
けれども、それまでの言動から確実に、おそらく一方的に嫌われていることがわかっていたので、このときも「あ~私のことが相当お嫌いなんだわ」と思うだけ。

張り詰めた空気を察して、入室しようとした別の先輩が部屋を出ていきましたが、私もそれに乗じて少々室外に逃げたのでした。

ここでもまた、別の理由で体調を崩し、強制シャットダウンを迎えますが、夫やその周囲の人たちと話していると、しきりに「やっかみって、怖いね」「女の世界は怖いわァ」なんて言われるのです。

そのときに、言ってしまいました。
もしかして、私って嫉妬されていたということ?

一同口を揃えて「いや、状況から考えて、十中八九そうでしょう…」
「それってパワハラだと思うよ…」
呆れられてしまいました。

いまから思えば、いじめ甲斐のなかった若かりし頃の私は、興味がないばかりにお相手の怒りの火に油を注いでしまい、自分自身がパワハラを助長する要素ですらあったかもしれません。

以前にも似たようなことがあったこと、学生時代はラッキーなことに、すべて通過してしまったことを伝えると
「どんだけマイペースなんだか…」
と、その場の一同の失笑を買ってしまったのです。

嫉妬に気づきにくいということ、周囲の人からの自分に対する攻撃について、明確な害を感じ取らなければ極端に興味がないということ…
それが自分の根本にあるということを、薄々感じはじめました。

答え合わせは、別の環境で

いろいろあって、少々マニッシュな集団で働く機会を得ました。

働き方も、職場文化も体育会系。
上席者が入ってくるときにはすっくと立ち上がって「お疲れ様ですッッ!!」
先に帰宅するときには大きな声で、お偉方のデスクをまわり「お先に失礼しますッッッ!!!」とコールするようなカルチャーの組織でした。

部署のなかで、先輩の女性は、半日勤務のおひとりだけ。
その方もどちらかといえばサッパリした性格で、「ああ、できていれば問題ないんじゃない?気にすることないのよ―」と、強めの圧で背中をドンッ!と叩いてくるような方でした。
割と重ための話題が飛び込んでくる現場でしたし、数字とにらめっこしながらシビアな打ち合わせに挑む毎日でもありましたが、何が起きても、先輩も私たちも心のどこかでおもしろがりながら、ゲームのように、スポーツのように仕事に挑む毎日です。

この職場でもまた、毎日のようにてっぺん越え勤務。
終電を逃し、夫に迎えに来てもらうこともしばしばでしたが、充実した毎日にどれだけ忙しくても心が折れることはありませんでした。
最後は、強制シャットダウンに遭うこともなく、純粋に自らの意思で、別のキャリアを選びました。

望むライフスタイルが違っていたら、いまでも働き続けていたのではないか、と思うくらい、好きな職場でもありましたし、お仕事の内容がなによりも大好きでした。
その職場を辞める決断をするとき、夫や同じメンバーから言われます。

「今度はさ、ヤキモチ焼かれることはなかったね。振り返ってどう?自分で、冷静に進路を選べる気持ちは。」
「僕はね、そんなヘヴィな職場はごめんだけど、本当に楽しそうだったよね。おっさんばっかりで楽だった?」

内定取り消しを経たとはいえ、仕事の内容自体は大好きだった、医療現場のお仕事。
その流れで、別のキャリアを歩めると意気揚々と飛び込んで失敗したお仕事。
ボリュームや文化はある意味時代錯誤的で、狂ったように働いたのに、快適だった職場文化…

見た目や仕事内容だけでは気づけない、自分の変えられない特性に、やっと気づけたのです。

パッと見ではわからない自分の特徴もある

いまでも、プロデューサー業の一環でPRに携わったり、人に会って話をしたりすることが多いものですから、「外交的(外向的)な人」と勘違いされやすいのですが、私自身は至って内向的。

誤解を恐れずにいえば、興味のベクトルはどちらかといえば内的世界に向いていて、外で巻き起こる出来事そのものよりも、自分の心の変化や、それぞれの人の内的な変化・意味づけに興味があるタイプです。
一言で言えば、重度のヲタク。あるいは、超ではあらわせないくらいの、底なしのマイペース。

好奇心は強いのですが、自分に向かってくる森羅万象に気を遣うよりも、好奇心が強すぎるがゆえに、細かいことを気にしている余裕がないのです。

だから、自分に対して明確な身の危険がありそうなことでなければ、嫉妬を買っているとしても、たいして興味を示せない―
それで未だに痛い思いをすることもあります。

そのかわり、自分にとって大切な人、家族や友人、プロデュースしている方や仕事仲間たちに危害が及びそうなときには、なぜか一番に気づいて対処できます。その周囲にも興味の芽を伸ばしているからかもしれませんが、「優しいね」というよりも興味の範疇と言ったほうが適切なのではないか…と思うほどです。人は、自分のことに対しては、他者に対しての出来事と正反対の行動をとってしまうことがありますね。

好意的に見れば、人間関係を含めた関係性を冷静に分析する特性があるから、「いい関係をつくる」お仕事ができているのかもしれません。

だからこそ、自分の苦手なこと(今回で言えば、「自分への嫉妬に興味を示すこと」)について、助け合える人と一緒に過ごすことを選びました。

近しい人たちは、「ちょっと、気をつけたほうがいいよ」と諭してくれるようになりました。
それだけで、ずいぶん救われるし、自分にとってのセーフティネットになっています。



今回は、大庭自身のランデヴーポイントのひとつ、「嫉妬への感度に気づく」というお話をご紹介しました。

またの機会にお話ししますが、ランデヴーポイントとは、必ずしも「客観的に良い未来」との待ち合わせ場所ではありません。

私たち自身が、自分の力で、自分の意志で未来を選択するために、地に足をつけ、力強く地面を蹴ってまた空に出ていくような、そんな場所のこと。そこには、必ず人との、環境との、モノとの、情報との出会いがあり、自分の意志で選んだ未来でだけ、答え合わせができるのかもしれませんね。

ご覧いただき、ありがとうございます!

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