こんにちは!
アイデアフラッシャーのにわです。
今回は「助手」「アシスタント」という役割の見直しによるチームのパフォーマンスUPの事例についてお話しします。
特に、
- 医療・福祉系のお仕事をされている方
- アシスタントとしてお仕事をされている方
- アシスタントの方とお仕事をともにしている方
は最後までご覧ください。
助手・アシスタントというお立場や呼称を否定する意図はございません。あくまで一例です。
離職率の高い医療機関
今回の事例のお客さまは、医療機関。
病床数が100床台の、リハビリと高齢者医療中心の医療機関です。
そこで年間の経営計画を立てたり、人材育成をしたりする役割として、伴走しはじめたときのこと。
大きな問題は看護部門の離職率の高さでした。
医療機関で働く人は、ほとんどが専門職。
学校での学び直しや家族の転勤、専門性の高い機関に移って研鑽を積みたいなど、
ネガティブな理由とはいえない理由で退職される方も多いのですが、
この機関ではネガティブな理由による退職や休職が相次いでいました。
何を言っても師長がスルーしていく感じがする。
辛さを訴えても響かない
ここで長く働くと麻痺するんですよ。
おかしいことが多いのに、まかり通っている。
患者さんに元気になってほしいから、より安全に、治療効果が高まるように工夫したいのに、容易に改善できることもさせてもらえない
業務がまるで流れ作業。
こなすことが目的化していて、個別事象に全く配慮できていない。
これじゃ機械にやってもらったほうがいいんじゃないですか?
退職者だけでなく在職中の職員さんにもアンケートをとってみると、
出るわ出るわ、皆さん苦々しい思いを吐き出されます。
実はアンケートだけでは、細かな事情がわかりませんでした。
現場に触れるしかありません。
入り込ませていただき、複数の現場でお仕事を手伝いながら観察させていただくことになりました。
「助手なのでわかりません」「自分でやってよ」
私が持っている資格では侵襲性のある行為はできないので、
資格のいらない範囲のケアと事務仕事のお手伝いです。
余談ですがお風呂やトイレのお手伝いがわりと好きです(「快」の場面では本音がみえるから)。
あるときのことです。
お食事のあと、口腔ケアと様子確認のために看護師さんが患者さん(Aさん)に近づきました。
ちょっと!応援呼んできて!急いで!
吸引します!
声が聞こえたので救急カート(※応急処置ができる物品の揃ったカート)を取りに行きながら、
大きな声で人を集めました。
その医療機関でのルールに従って、応援の看護師さんをステーションから呼びました。
ドクターも呼んでもらい、端的に事態を伝えたため、病室での対応人員はすぐに揃いました。
私はそのとき、妙な違和感をおぼえました。
看護師さんは全員、テキパキと動く一方で、介護士さんたちは目もくれず、作業し続けます。
気にならないのだろうか…こんなに慌ただしいのに、冷静なのかなあ…と感じました。
ちなみにこのときのAさんの異変は、少しの吐き戻しと、呼吸状態の一時的な悪化。
結果的にAさんはすぐ回復され、意思疎通もできて、痛みも特段訴えられず、
食欲もあったようなのですが、検査の結果、処置や処方変更の必要があることがわかりました。
ちょっと!
Aさんの食事介助したの誰!?
なんであんなに、簡単に手で触れられるようなところに大きなコアグラ(血の塊のようなもの)があるのに気づかなかったの?
ずいぶん固まった状態で出てきたよ?
どういうこと!?見ずに食べ物押し込んだわけ!?
一連の処置のきりがついて、処置するためにAさんを別の部門に送り届けてから、
対応にあたった看護師さんが怒りを爆発させてしまいました。
医療行為やケアとしての専門的見解に基づく問題への対処はもちろん行いましたがー
特にまずい、と感じたのが、食事介助を行った介護士さんの一言。
私、助手(看護補助者)なので、わかりません
ここからは目もあてられない、大喧嘩になりましたので、
患者さんのことを考えて場所を移してもらい、話を聴きました。
看護補助者・看護助手とは
ちなみに、医療機関にもよりますが、
保険算定の都合上、看護補助者という役割をおき、看護部門のスタッフさんを看護補助者に割り当てている場合があります。
看護補助者になることの多い職種には
- 看護助手
- 病棟クラーク(事務スタッフ)
- 介護スタッフ(介護福祉士、介護職員初任者研修修了者など)
- 看護師(まれに看護師さんでも補助者として届出されている場合もあります)
などがあります。
対行政の呼び名が「看護補助者」であっても、組織内の職種や役割、人事制度上の割当は異なることが多くあります(体感的には異なる場合の方が多数派です)。
「補助者」とついた名前でも、皆さんプライドをもって、お仕事されています。
「助手に何を求めるって言うんですか?」
場所を移したものの、お互いの怒りは収まらないようで、
看護師さん、介護士さんと別々にお話をお聴きしてから問題解決に動くことにしました。
看護師さんの言い分はこうです。
現場では、患者さんの安全を守り、適切にケアすることが第一のはず。
それなのに、誰でもわかるはずの、しかも食事介助をしたら必ずわかるはずの大きな異変に気づかず、放置した。
こんな人のことを誰が信用できると思うか?
流れ作業でひたすらスプーンで押し込んだんじゃないのか。
万が一命にかかわることでもあったら、どうするつもりだったのか。
徹底的に処分してほしい。詰めてほしい。許さない。
介護士さんの言い分はこうです。
私は、言われたとおりの仕事をしました。
間違っていませんよね?
時間に間に合うように、お食事を終えるように急かされていたから、そのとおり巻きでご飯食べてもらって、実際時間の面で迷惑はかけていないはずです。
口の中を見てほしいなら、そう言ってほしかった。
こんなに時間がなくてどうしろって言うんですか。
安全にかかわるから急かすのはやめてくださいって、私何度も言いましたよ。でも聞かなかったのは看護師さんたちじゃないですか。
それをいざとなったらこっちに押しつけて。普段は助手助手ってばかにするくせに。
助手はあれができないんだから偉そうに言うな、みたいな態度で。
いまさら助手に何を求めるっていうんですか。
じゃあ知りませんよ。助手だから知りませんよ。いいですか?それでいいですよね?
これは困りました。
そもそもの医療現場における安全の重要性は別の機会に譲りますが、
(医療の場に接する者としては、医療の現場において最低限の安全を守れないのは、なにより大きな問題であるというのが私の立場ではあります)
組織づくりの面から見ると、介護士さんのおっしゃった内容にも、気になるところがたくさんあります。
安全確保の優先順位を判断できない人を現場に出してしまった責任。
リーダーが采配できないまま、現場で起きてしまった仲間割れ。
本来別の専門性があるはずなのにもかかわらず、不必要にそこにあるヒエラルキーと、患者さんには一切関係のない(害にしかならない)謎のプライド。
これは、この人たちだけで済む問題ではない、と判断し、
それぞれとの面談を終えて、リーダークラスの方々と話し合いをしました。
専門性を尊重するー助手、やめませんか?
もうお気づきかもしれませんが、
その医療機関では、介護士さんを含め、看護補助者に割り当てられている人のことをなぜか「助手」と呼んでいました。
誰が誤用しはじめたのかは、もはや知る由もありませんが、
「助手」という言葉がひとり歩きしてしまったようです。
繰り返しになりますが、患者さんにとっては、ケアしてくれる人がどんな職種であるかの細かな争いは関係ありません。
安全に過ごせて、治療してもらえて、元気になることが重要です。
言葉は悪いのですが、そんな些細な争いごとに巻き込まれている余裕なんて、ないのです。
そんな余裕があったら、自分のケアに神経を使ってほしいと思うでしょう。
けれども、人として、チームメイトとして、
同じ場所で働くのであれば、最低限の敬意は必要です。
幹部の方々と作戦会議をして、組織の再構築のお手伝いを優先することになりました。
そのなかで、看護スタッフの方々と面談をすすめていくにつれ、
「私は助手だからねえ」と、看護補助者の方ご自身が、ご自分の仕事に対して謙遜を通り越して、諦めのような発言をされるケースが多いことに気づきました。
「助手だから」という言葉で、ご自身も仲間たちも、その仕事に対して敬意を勝手に割り引いているかのように、私には感じられたのです。
ここまで深まった溝は簡単には埋められません。
再教育と体制・体質の転換をキーにして、次のような取り組みを行いました(1年間かけました)。
- 職員全員の患者体験(患者さんになりきって入院や外来通院などを体験。食事制限や検査・運動療法・処置なども可能な限り体験)
- 接遇教育とチェックのスパン変更(この機関では月1回に頻度を高めました)
- 部門割りの変更(後述)
- スキルアップや学び直しに対する補助・評価の刷新
- ノルマ的な勉強会の廃止・研修や勉強会の企画/手挙げ制と外部講師招聘ができる制度設計(各職種の資格要件充足に必要な勉強会に関しては部署横断的に企画可能な形に明文化)
- 患者さんへの退院後・外来終診後もフォローができるコミュニケーション部門の創設 など
部門割りの変更と職種名の変更
思い切ったしくみづくりの核が、部門割りの変更です。
たとえば多くの医療職は法令上、医師の指示がなければできない行為がたくさんありますが、
患者さんの立場に立ったとき、どうでしょうか。
「痛い」のであれば、痛いのをなんとかしてほしいのであって、「私は医師ではないので痛いのをなんともできません」と言われると、理屈はわかっていたとしても悲しい気持ちになるし、痛すぎて暴れるかもしれません。
「もう1時間も待っているのですが、まだでしょうか?」と患者さんが窓口にいらしたら、どうでしょうか。
「医師ではないのでわかりません、知りません」と仮に言われたら(意外とあります、この返答)、私だったら端的にブチギレると思います通院をやめたくなってしまいます。
その先生の診察が立て込んでいて、他の患者さんも待ちぼうけだったとしても、その返事は患者さんにしてみれば「あり得ない」のです。
それを「◯◯でないから」「助手だから」できない、知らない、と言わせてしまっているのは、
患者さんからみればくだらない、どうでもいいところにある、謎のヒエラルキーのせいもあります(もちろんほかにも原因はあります)。
私は、ほかの職域でも、別の医療機関や福祉系事業所でも、専門職が多く働く場では「それぞれの専門性が尊重されているか否か」が運命の分かれ道になっていることを学んできました。
残念ながらそれすらも、極端な言い方をすれば患者さんやお客さまにとってはどうでもいいことです。
けれども、手段の目的化を防ぎ、本当にその機関や会社が大切にしているもの、理想や未来を叶えるためには、専門性を尊重しあえる環境づくりが結果を大きく左右しました。
そこで、これまですべて「看護部」に括られていた役割を整理し、再定義して、部門を4つに分けました。
- 看護師・准看護師→看護部門
- 介護福祉士・介護スタッフ(介護福祉士実務者研修や介護職員初任者研修の修了者など)
- ナースエイド(看護助手)
- 病棟クラーク(事務スタッフ)
それぞれ部門をわけ、各職種のキャリアパスも整理しました。
介護には介護の、ナースエイドにはナースエイドの、事務スタッフには事務スタッフの専門性があり、それぞれの人たちの中で切磋琢磨してもらうしくみをつくるのはどうかとご提案し、(かなり時間はかかりましたが)現場の方の意見も一致して変更しました。
「助手」と呼ばれていた人たちの名称も、部門と一緒に変えました。
介護職→介護士、ケアスタッフなど
看護助手→看護秘書、ナースエイドなど
病棟クラーク→そのまま「病棟クラーク」、事務スタッフなど
候補を出して、最終的にはスタッフ皆さんに選んでいただいて決めました。
名前なんて記号だ、という考え方もありますが、今回のケースでは名前が仇になっているところがあったので、長年働く方も含めて納得され、案外好意的に受け容れられました。
その後、現場内での反発はありましたが、
キックオフから1年くらいの期間の伴走を経て、介護士さんたちもそれぞれのお仕事への誇りや情熱を取り戻され、
別業務にあたられていた看護補助者の方々も、より自主的に動いたり、業務改善したりするようになりました。
重たいインシデントの数も減り、職種をまたいで自然に協力できるようになったおかげか、
看護部門の離職率が前年比で15%以上、下がりました(以前はそれだけ危機的な数値でした)。
アシスタント、助手もいろいろ。とにかく仲間です
世の中には、アシスタントや助手という名前のついた役割がたくさんあります。
アシスタントを経てステップアップしていくような場合は、むしろすすんでアシスタントになろうとするかもしれません。
あるいは、後進を育てるために、先輩が自ら助手につく場面もあるでしょう。
アシスタント、助手の本来の意味は、アシストする人。同じ方向に向かって歩き、ゴールに向けて支える人です。
その意味でアシスタント、助手の方に対して敬意をもてるのであれば、もちろん素晴らしい呼び名です。
けれども、助手だから、と肝心な役割や目的を留保してしまったり、
敬意を割り引いてしまったりするようであれば、本末転倒。
名前をかえて、概念を入れ替えて、再出発が必要かもしれません。
一緒に働く人に対して、敬意がもてなくなったら、終わりだと思うのです。
一度染み付いてしまった文化はなかなか入れ替わらないこともあります。
いま、組織によろしくない風が吹いているかもしれない、居心地が悪いと感じることがあれば、
いつでもご相談ください。
お互いに敬意を持って協力しあえるように、お手伝いさせてくださいね。
ご覧いただき、ありがとうございます!
話しかけてみたい方は、公式LINEでもお待ちしております。